放つ光を見定める

Dear Me

昨日のBLOGの続き
比べようのないもので
どれが正論でどれが間違いだ
どれがすごくて、
どれが大したこと無いか
なんて議論したり闘ったりするのも無駄で
それをベースに商売しても
もはや意味がない
ってことに
そろそろみんな気付いているんじゃないかな
それぞれが経験したことを活かす
悩みはそれぞれのフィールドで
どうやって活性化させるか、
変化させるかが
これからは必要なのだと思う
この世の成り立ちは
すべてエネルギーなのだから
どうやっても変化することが出来る
朽ちていくことも
変化と同じだから
どうせなら
いっそのこと熟成させていくほうがずっといい
ただの経験を
ただの経験じゃないように
ただの苦労話を
ただの苦労話じゃないように
幸せな経験こそ
同じように
より熟成させることが出来る
幸せな経験ってやっぱりすごい
人生泥沼劇場からの
這い上がりだけではなく
幸せな日々を送っているひとは
どんな状態がしあわせなのか、
満たされた状態なのか
そういうことも
もっともっと感じきることをしていくべきだし
きっとそれらがあるのは、
負の感情の経験を
俯瞰的にとらえ、
どう対処し、
どう向き合うのかを
自然と備えていく力を
持っているのだと思う
いや
自然と身につけた、のかもしれない
人間力で。
放つ光を見定める
学び尽くした人は
いよいよ次のフェイズへ。
どう活かすか、
どう循環させていくのか
学びの途中の人は
学びを受ける相手(講師)が
どう生きているのか
どれだけ正直に向き合えているのか
誰かの上に立つのではなく、
どこまでも
ひとりひとりだという感覚を
持ち合わせている人なのか
そして放つ光を見る目を
持ち学びを続けていくこと
もうはっきりと見えだしている気がする
だれのために生きるのか
自分のためであり、
自分以外の自分のためであり
全てが一つだという感覚を
持っている人が放つ光は
本当にまぶしくてたまらない
光に臆することなく向き合える力
それを養っていこう

”サイワイニモマワリニハソンナヒトバカリ。カンシャ”